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カルロス・バルデラマ  [我が心のFootball]


本名 カルロスアルベルト・バルデラマ・プラシオ 
通称 獅子王
87年、93年南米大陸 最優秀選手賞受賞。
90年代を代表する数少ない象徴的な10番の一人。
独特な風貌もさる事ながら、ガニ股のインサイドキックから繰り出される
魔法のようなパスに、直ぐに心を奪われた。


そのプレーの一つ一つはファンもさる事ながら、数多くのプレーヤにも
尊敬の念で迎えられている。


カルロス・バルデラマをフランス・リヨンのスーパーで見付けた時は、
店に置いてある3個すべてのバルデラマを買い占めてお土産にした。
もちろん一つは自分用。


大好きなバルデラマだけに時にはこんな事も・・・
当然、タケは一緒に歩きたがらなかった。

そんな愛してやまないバルデラマも昨年2月、42歳で現役を
引退してしまった。
緑の草原を金髪のたて髪をなびかせ疾走する勇姿を、
もう見る事が出来ないのは寂しい限りだ・・・

ある日 自宅の玄関を覗いてみると、なんと!!

あのバルデラマが母親の手によって復活しているではないか!


さすが良き理解者の一人。
そしてバルデラマは今日も丁寧だか分からないが来客を迎えてる。


目黒 田道広場  [我が心のFootball]


 今日、たまたま近くを通りかかったから久々に覗いてみる事にした。
以前、毎週水曜日の夜7時に目黒にある田道広場という公園で3チーム対抗の
ストリート的な草サッカーをしていた時期があった。
俺達のチームは、たまたまその公園にボールを持って蹴りに来ている人であれば入れるという、
言わば寄せ集めのチームだった。 

〔このベンチでハーフタイムには作戦を練る〕


〔こっちは先日ワールドカップ出場を決めたバンコク・スパチャラサイ競技場の日本代表のベンチ〕


何度このゴールに俺達 寄せ集め集団のシュートが決まったことか。
グランドの近所に住んでいる宮沢さんは経験者だったけど、寄る年と習慣になっている古傷の
痛みからか本来のプレーは出来ていなかったらしいが、いつも早くにグランドに来ていて、
俺が着く頃には土のグランドにペットボトルの水で引いたラインが寸分の狂いも無く描かれていた。
声でもみんなをリードしていたが、それ以外のところでも面倒見のいい宮沢さんは、誰がなんて
言おうと俺達のキャプテンだった。
近くの会社に勤務している木村さんとその課長さん。「課長!課長!」と、試合中に呼んでいた
期間が長く、課長さんが部長に昇進しても、みんなで「課長!こっち~!」とか呼んで
いたのは、今思うとちょっと失礼だったかもね。あと受験生の兄弟2人と俺と洋ちゃん。
そして、その場にいる人達。
このメンバーだけではほとんどゲームにすらならなかったけど何度も勝つことが出来た。
なぜなら俺達のチームには強力な助っ人外人が4人居たからだ。


〔センターフォワードのアリ・レザ・カリリ(イラン)〕
今はイランに帰ってビジネスでも成功し、10年間アリ・レザの帰りを待ち続けていた彼女と
結婚して子供も出来て幸せに暮らしている。頼りになるチームのエース・ストライカー


〔ボランチのアリ・シアー(イラン)〕
現在は新井薬師で“お疲れさん”という、顔馴染みにはイラン料理を出してくれる料理屋さんの
マスター。奥さんの ゆみさんとの間に出来た男の子の名前はあらし。
ゆくゆくは日本代表としてプレーしてくれる事を願っている。


〔センターバックの一人、アリ・フェリー(イラン)〕
身体が大きくどんな突破も許さない強力なディフェンダー! 家に遊びに行ったらフィリピン人の
小さな彼女がいて、ヒョコンと膝の上に腰掛けてる姿がなんともいえず似合ってた。
帰国の際、こっそり内緒で洋ちゃんと成田に見送りに行った時は、身体に似合わず ずっと
泣いていて別れがホント辛かった。

もう一人のセンターバック、アレックス(ペルー)はいつの間にか帰国していた・・・

今はこの広場も夕方の5時になると鍵が掛かり入る事も出来なくなってしまったのが残念で
しょうがない。別に夜にサッカーがしたいとかじゃなくて、“ここ”で出来た人間関係が本当に大切なものとして構築され、今尚 俺の中に貴重な財産としてある。
サッカーボールが有れば国籍を問わず、誰とでも仲良くなれる場所でもあった広場が一つでも
多く開放される事を願う。
たかが広場だけど、人と人を結びつける そんな広場はホント少なく、
今ボールを追いかけている子供や学生達が様々な人達と出会う事によって感じ得るものが
計り知れないほど大きく思えてならないからだ。


あの日のウェンブリー・・・ [我が心のFootball]


ENGLAND FOOT BALL協会100周年を記念して、ワールドカップが初めてサッカー
母国ENGLANDで開かれた大会が1966年ENGLAND大会。ボビー・チャールトン
(この前恵比寿のウェスティンホテルで年末に行われるTOYOTA・CUPの
ドロアーで来日していた)を始め、ボビー・ムーアなどのタレントは揃っていたけど、
優勝候補は圧倒的にイタリア
しかし、そのイタリアは予選リーグで最近映画にもなった北朝鮮に0-1で敗れるという
イタリア・サッカー史上最大の失態を演じて、ワールドカップを去っていった。
そのイタリア代表が帰国した際、空港で彼らを待ち受けていたのは、罵声と共に
投げつけられたとんでもない数の腐ったトマトだった。
2002年大会でもイタリアはベスト16で韓国に敗れて、過去の過ちを繰り返してしまったよね。
イタリア代表は全員ジョルジョ・アルマーニのスーツを着ながらビクビクして
ミラノに降り立ったけど、今回は腐ったトマトは投げられなかったみたい。
決勝戦はENGLANDと皇帝ベッケン・バウアー率いる旧西ドイツによって、
ワールド・カップの為に建設されたウェンブリー・スタジアムで行われた。
西ドイツはが先制ゴールを叩き込むんだけど、ウェンブリーの大歓声に後押しされた
ENGLANDも負けてない。すぐに同点ゴールを叩き込み1-1。ENGLANDは終了10分前に
逆転ゴールを決めて2-1とゲームをひっくり返す。
しかし西ドイツはさらに終了間際に魂(決して諦めないゲルマン)のゴールで追いつき
延長戦へ。延長戦で今尚語られるプレーが有って、ENGLANDが放ったシュートが
クロスバーを叩いてゴールライン上にバウンドした。猛抗議をする西ドイツだが審判の判定は
ゴール。
3-2とされ集中力の切れた西ドイツのゴールにさらにとどめの一撃が決まり、
終了とENGLANDの初優勝を意味するホイッスルの音がウェンブリー・スタジアムに鳴り響いた。

試合終了後、ボビー・チャールトンは若き皇帝ベッケンバウアーに、
「君にはまだ未来がある。君はいつかワールドカップで優勝を成し遂げる」
ベッケンバウアーは、そっと涙をふき取った・・・。


里絵ちゃんありがとう!!!! 
ENGLANDはサッカーの母国だけあって、この前話した“ホワイトホース・ファイナル”も
そうだけど歴史があるよね。新しく建設されているウェンブリー・スタジアムに架かる橋の
名前になる馬の名前は“ビリー”だったよ。 大切にするねー


Thai Music [映画 & 音楽 + TV]


前回Thai を訪れたのは1999年11月だった。
当時、弟のタケにはタイ人の彼女がいて、その友達などとBANGKOKの街を色々と
案内してもらって、夜の街も楽しんだ。
今まで音楽といえば六本木や麻布などで流れてる洋楽や、テレビなどから
聞こえて来るJ-POPなどがAsiaをリードしているんだろーなーとか思っていたけど、
BANGKOKに溢れている音に触れた時、正直ものすごく心を打たれた。
中々Thai Musicを聞く機会がないと思うけど、もし機会があったらじっくり聞いてみて。
元々流れるように本当に美しいThai語だからきっと心地良く聞こえると思うよ。


1999(仏暦2542)年11月13日 タイ・バンコク・ ラジャマンガラスタジアム
U-22 タイ代表 対 U-22日本代表
平瀬、平瀬、小島、明神、市川、藤本、 6-1 U-22日本代表圧勝!!
トルシエ・ジャパンね~ 懐かしいな~

トランプマン1号・2号〕


初めの一歩はこんなもんでしょ [今日の・・・]


この一言を切り出して良いものなのか・・・
「俺、Thai に行こうと思うんだけど・・・」

2000年の2月に起業してから、初めてとる長期休暇だった。
俺が休みをとって周りに示しがつくのか、と・・・
今回、日本代表と共に海を越えた旅で、新たに感じた事は

“一歩踏み出す事の大切さ”

分かっているつもりでは有ったが、どこか忘れかけていた。

来年の俺は何をしてるやら・・・

さてさて、そんな何処に向かうか分からない、雲のようなブログですけど
たまには覗きに来てみてよ (^^)



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